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ハンドルについての考察


最近の自動車のハンドルは車の向きを変える「操作」以外にも、エアコンやカーナビ、オーディオを「操作」するためのジョイパッドの方向キーみたいなやつとか、ボタンなどがたくさんついている。
カーナビにエミュレーターが詰まれていれば、ファミコンぐらいまでなら操作できそうなハンドルもある。
自分はこれが嫌いだ。
正直言うとエアバッグも好きになれない。
きちんと(4点式??)シートベルトを閉めていれば、事故時にもハンドルのエアバッグは必要ないのでは、と思っている。
動作するかどうかが事故するまで解らない、カタログに安全性をうたうためだけにつけられた安価なエアバック装置を信用できないのである。
ちょっと話がそれたが、つまり、自分の理想とするハンドルは前輪(もしくは四輪とも)を「操作」するためのもである、ということである。
確かに、自動車工学の粋を集めたF1でも、マルチファンクションのハンドルを使っている。
しかし、レースの世界のあの生死を分けるドライビング論を一般道に持ち込むのは危険だし、むしろ持ち込んでほしくない。
また、センターコンソールのスイッチ類に運転中に気が行ってしまうと危険という、しごく一般的な理由もよくわかる。
この理由に反論するのは簡単で、オーディオやエアコンは信号で止まって安全が確認できるときに操作すればいいのだ。
(もしくは、助手席に乗せた子猫ちゃんに気に入った設定にしてもらえばいい)
少なくとも自分は、運転中にエアコンの温度が少し低いからといって凍傷になったことはないし、カーステレオから音楽が流れなくなったからといってその静けさに耐え切れず、気が狂ったこともない。
用は、運転中は運転に集中すればいいのだ。
有名な社会学者、マーシャル・マクルーハンは、メディアが人間を拡張するといったメディア論の中で自動車をメディアとして捕らえ、人間の足を拡張すると論じた。
ただし、その拡張はあくまでも「外部的」なもので、人間の「内部」を拡大してくれる訳ではない。
そんな人間が、闇雲に「拡張」されたハンドルをうまく「操作」できる訳がない、と思うのだが。
というわけで、自分の車のハンドルも変えてみたい今日この頃。

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